どうも、しぐぴよです
今週のクロスロードに、
医師を志し医学部を卒業しながらも、
その後より多くの人々を救うために
研究職へと転身した、
研究者の武部貴則(たけべたかのり)
さんが登場します!
28歳にして准教授という地位に付けている
武部さんの素顔が
番組内でも紹介されるとのことですが…
その経歴から、
活躍の秘訣の一端を
ひもといて行きたいと思います!
武部貴則さんの経歴!海外研修も
本名:武部貴則(たけべたかのり)
出身地:横浜市
年齢・誕生日:28歳 1986年生まれ横浜市立大学医学部卒業
どこの高校を出たかは不明でしたので、
それ以降の経歴をば。
横浜市立大学の医学部を
2011年に卒業したといわれているので、
逆算して2005年4月に入学したと考えられます。
年齢・誕生年から、
11月以降の生まれであることがわかり、
1浪して大学に入った可能性がありますね
しかし、こうして
若くして多大な成果を残すような人が
大学受験くらいで足踏みするとは
ちょっと考えにくいので、
大学在学中に、
海外研修などを経て
1年長く在学していたと
推察することができます。
海外在住の内訳が、
2009年米スクリプス研究所(化学科)研究員、
2010年米コロンビア大学(移植外科)研修生
なので、このうち1年目の研究所在籍は
大学の単位としてカウントされていない
と考えるのが自然ですね!
卒業してすぐに同大学助手、
その2年後には准教授になるという
超スピード出世。
准教授の平均年齢は、
時代にもよりますが
おおよそ40代なかばと言われていますので、
いかに異例の昇進であるかがわかります!
よく海外旅行(沖縄旅行)を経ると
人生観が大きく変わると言われており、
実際僕も海外旅行とホームステイを
短期間ながら行ったことがあるのですが、
たしかに今まで感じたことのない
文化や生活環境がとても刺激的でした。
武部さんもその例に漏れず、
海外研修期間に出会った患者がきっかけで
より多くの人を救うために
研究者になることを決めたのですね。
どんな成果を上げたのか?その秘密とは
そもそも、どんな成果を上げて
若くして活躍しているかが
やはり気になりますよね。
主な成果は「ミニ肝臓」、
もう少し一般的に言えば
複雑な臓器の複製技術です。
普通、細胞培養は平面的に行うため、
血管や組織が立体的に絡む
臓器のような代物を作るのは
困難と言われていたのですが、
実験中の操作ミスによって
何故か立体的に仕上がってしまったのを
きっかけに、
その再現に至ったとのことです。
現段階では本来機能する肝臓の
0.01%規模のサイズでしか
作成できないため発展途上ですが、
効率化を進めれば、
これまでドナーの提供を待つばかりだった
臓器移植待ちの患者を
より多く助けることが
できるようになるはず、
ということですね!
有名な所では、
ノーベル賞の田中耕一さんも、
ミスがきっかけで
受賞論文をひらめいたそうですし、
怪我の功名とも良く言いますが、
正攻法でうまくいかない時は
敢えて回り道をすることも
必要なのかなーと思いました。
あとがき
今回は、新進気鋭の研究者について。
特に、
あと少しで実用化が見込める
再生医療にまつわる技術者
ともなれば、
あと30年くらいで
身体のあちこちにガタが来る
僕達の世代にジャストフィットする
話題ではないでしょうか!
さて、上の方で、
やっぱ怪我の功名だよなー
みたいな結論を述べましたが、
もう一つ大事な教訓はあります。
それは、強い目的意識を持つこと。
武部さんの場合は、
ドナー不足の現実を
海外という環境で目の当たりにしたことから
それをなんとかしたいという
強い望みを持ち続けていました。
それこそ、順当に行けば
医師になるはずだった
道を変更するほどに。
実際、僕の経験からしても
大学入学が目的で
ずっと頑張ってきた人に限って、
入学後目的を見失って
頑張れなくなるんですよねw
短期的な目標や長期的な目標を
使い分けて、
常に何かを目指して頑張り続ける。
それが僕達にもできる、
成果を残すための
手段なのではないでしょうか!
以上、
武部貴則の経歴!若き天才准教授がクロスロードに登場!
でした!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
2017.1.22付の横浜市立大学記者発表資料(武部先生 教授任命の発表)によりますと、1986年12月生まれとのことですので、2005年4月に現役で医学科に合格、6年間在籍して2011年3月に卒業となります。したがって、海外時代の1年間がカウントされず、学部に7年間長く在籍していたとか、1浪したとかいったことはないようです。